- 朗読 -
ナザレのおとめマリアは、神のおん子であるイエスの母であるという意味で「神の母」と呼ばれます。
父である神はおん子の受肉によって人類の救いを達成しようと望まれたときから、
マリアをそのすくい主の母としてお選びになりました。
「あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その名をイエスとつけなさい」。
マリアは深くへりくだりながら信仰をもって承知し、
「お言葉の通りこの身になりますように」とお答えになりました。
こうして神のおん子は、われら人類のため、またわれらの救いのために
聖霊によっておとめマリアから体を受け、人となられました。
このマリアとイエスの母と子のつながりは、イエスの受胎から十字架の死にいたるまで現れます。
幼年時代ばかりでなく、公生活中、救いのわざが続けられる間、
マリアは信仰をもっておん子のあとをたどり、十字架のもとでは
母の心をもっておん子の奉献にご自分を合わせておささげになりました。
ヨハネ福音書によると、イエスは愛する弟子と一緒に立っておられるマリアに
「婦人よ、この人はあなたの子です」と、また弟子には「この方はあなたの母です」と仰せになりました。
そしてこの愛する弟子はマリアを自分の家に引きとりました。
このことはイエスの母マリアがわたしたちの母となり、教会の母ともなられたことを教えるものです。
じっさいマリアは使徒たちが約束の聖霊を待っていたとき、
聖霊が与えられるよう、かれらとともに祈り求めました。
聖母はわたしたちが教会共同体の一員として生まれるよう、愛をもって協力されるばかりでなく、
わたしたちの霊的成長を助けてくださいます。
秘跡の恵みを生活のなかで生かすことができるよう、
わたしたちのために祈り、母としての配慮をしてくださいます。
マリアは信仰の旅路を進む教会、悔い改めと刷新の努力をつづける教会の希望の星です。
ただわたしたちばかりでなく、まことの救いを探している
すべての人に対しても母の心をもって取りなしておられます。
1987年「マリアの年」日本カトリック司教団教書「聖母マリアに対する崇敬」より
成功を収める為に神に力を願ったのに
弱くなってしまった 謙遜を学ぶように
偉大な事をする為に神に健康を願ったのに
病気になってしまった 神の心に叶う様に
私の願いは何一つ叶えられなかったけれど
希望した全てのことを私は受けた
幸せになる為に神に富を願ったのに
貧しくなってしまった 生きる厳しさ知る様に
弱い人を助ける為に神に権威を願ったのに
無力になってしまった 神に頼ることを学ぶ様に
神は私に必要な事何もかも知っておられる
希望した全てのことを私は受けた
人に尊敬される為に 神に手柄を願ったのに
ただ失敗に終わった 思い上がらない様に
聖なる人になる為に神に徳を願ったのに
罪の醜さに泣いた 神の愛の深さ悟る様に
私の姿は変わらない
弱く何も出来ないけれど
喜びに満ち溢れて私は歌う